2016年4月21日木曜日

長崎で揺れる。


























いま毎月長崎に飛んで、島で龍の絵を描くってことをやってる
わけでして、今月も行ってきた。
池島という元炭鉱の島です。2001年という比較的最近まで
現役の炭鉱だった島です。
このときの事はおいおい書きますが、とりあえずは描き終えて
帰路スタッフとトルコライス山盛り喰って長崎市内に夜着いた。
ホテルの部屋に戻って、部屋に備え付けのフットマッサージャー
に両足をぐりぐりされながら仕事のラフを描いてたら、
数年前から聞き慣れてしまった音が響いてきて、ぎょっとする。
音源は携帯からで、地震警報のあのキュイキュイって音です。

すわ、と飛び出せるように脱いでたパンツはき直してテレビを
つけた。九州で地震かー。
その後もゆらゆらしてたけども、ここが関東に住む哀しさ、
多少の揺れに慣れていて、飛び出せる準備をしてから寝た。
へとへとだったし、そんなに大きな地震だとは
その時思ってなかったのです。

翌朝テレビをつけたら大変なことになってた。熊本が。
東日本大震災のときの記憶がもわんもわんやってきた。
おー結構ゆれたなーと東京で思ってたあの時、東北が大変な
ことになっていたを知った、あの感じ。

ホテルの下のカフェでカフェオレを頼んだらレジのひとが
揺れました?こんな大きな地震わたし初めてです、という。
その後乗ったタクシーの70歳くらいのドライバーも
わたしゃこれまで長崎で生きてきてこんなのはなかったねえと
おっしゃる。結果からみると今回の地震による長崎の被害は
熊本ほどでなかったし、翌日は東京までスムースに帰れたし
市内に混乱もなかった。しかし熊本ではたいへんなことに
なっていて、亡くなった方も多い。

その時どこにいるかは選べない。
オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたとき、あの路線
沿いに住んでいたオレは何日かずれてたら
あの地下鉄に乗っていた。
去年起きたネパールの地震が1ヶ月はやかったら
オレもカトマンドゥかヒマラヤの山の中にいた。
生き残ったのは結果であって、自分では選べない。
助かってよかったーって感情ではなく、じぶんがそこにいた
かもしれない、という感覚でしかなかった。
どこにいても同じ。
毎日たまたま生き残ってるに過ぎないのが、この人生であって
生き残ってる間はひたすら生きることに専念するという
ことだと思う。

今回の地震で被害に遭われたかた全てに、1日もはやい普通の
生活が戻ってくるよう願ってます。
もちろんいまだ仮設に住む東北の被災者たちの生活も。
直近で大地震にあったエクアドルや、世界中で被害に遭われてる
かたも、その生を安寧の中にまっとうできますように。